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2015年08月03日

朝から八王子市内40kmぐらい走っていました。

おはようございます。

ノウゼンカズラ
ノウゼンカズラ




花言葉 「栄光」「名声」「名誉」「光栄」「華のある人生」「豊富な愛情」「名誉な女性」「愛らしい」「女性らしい」



この花は昔からあります。
以前は搾乳所という建物が我が家の畑の中にありました。
その建物の壁に咲き誇っていました。
今はシイタケ栽培に使っていた池の横で
咲いています。


八王子の食材集めで走っていました。


昨日は朝から八王子市内40kmぐらい走っていました。
毎年、2012年から年2回の福島県の子供たちに
来てもらって八王子の空の下、
土の上で遊んでもらう企画に必要な
八王子の食材集めで走っていました。
2012年の春に八王子市障害者団体連絡会の
例会に出ていました。
その時に市民講座の田中さんと出会いました。
俺、その後、学園都市センタービルで
ウロウロしていたら、
再度、田中さんと遭遇しました。
その出会いがあり、
八王子市内の農家を紹介することで
福島県の子供たちに八王子の新鮮な
野菜やご飯を食べてもらう取り組みを
毎年やっています。  


  • Posted by おっさん2 at 08:30Comments(0)環境福祉農業子供たち市民活動障がい福祉

    2015年08月03日

    「こころとからだの平和のバトン」 2日目です。

    「こころとからだの平和のバトン」 2日目です。



    農のある暮らし

    俺で4代目の酪農家でした。
    仕事を決めた時は多摩ニュータウン開発で
    強制収用で畑を売りなさいと言われていた時でした。
    未来の見えない選択でした。
    俺の父はシベリアから帰還して3代目の百姓です。
    自分の意志を貫く性格でした。
    多摩ニュータウン開発に向かって、、、
    都市にも農業は必要だと体を張って社会に発信し続けて
    いました。
    毎日が、人を受け入れる毎日でした。
    我が家には自分たちの生活はありませんでした。
    人が来る、そして、父、母、俺は皆が寝るころに
    乳を搾る生活でした。
    市や都や国に対して小さな堀之内寺沢を守るために
    1年、2年、3年、、、10年、、
    20年と訴える日々、、でした。
    多くの人と共に暮らす百姓はそうはいないんじゃないかと
    思うほどでした。





    こんなことありました。都知事が美濃部都知事時代前後です。
    当時の都議会議員の後藤マンさんという女性都議の方が
    我が家に来る日々がありました。
    夕方、三宅島から帰ってくるなりに、、
    「くさや」持ってきたよ。
    その後藤マンさんが都議会本会議で美濃部都知事に
    「堀之内の酪農は残します」と言わせました。
    それでも、国の日本住宅公団との戦いは続く毎日でしたが
    我が家には「農ある暮らし」に共感してくる市民の方が
    やってきてくれました。


    写真はフォトジャーナリストの森住 卓さん撮影です。  


  • Posted by おっさん2 at 05:56Comments(0)農業政治市民活動町づくり