たまりば

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2018年05月28日

3時間ほどぶっ続けに肩掛け草刈機で刈りまくっていました。

こんばんは、


コロ君の日本探訪
コロ君の日本探訪



サンタンカ
サンタンカ




花言葉 喜び・謹厳・張り切る・可憐・熱き思い



一度だけ、、どこかで見ています。




きょうは本格的に家の周りの草刈りをしていました。
3時間ほどぶっ続けに 肩掛け草刈機で
刈りまくっていました。



3時間ほどぶっ続けに 肩掛け草刈機
3時間ほどぶっ続けに 肩掛け草刈機



さっきこんなことを書いていました。長文です。

昔、美濃部都知事時代に多摩ニュータウン開発で
東京都に八王子の酪農集落を残して欲しいと
請願していました。
昔は国レベルでは社会党などは野党の存在はありましたが、
市レベルでは多摩ニュータウンに反対と言えるのは
共産党しかありませんでした。
八王子市が国に逆らうことなどできない時代でした。
自分が二十歳そこそこのころ、
多摩ニュータウンという国策に反対することが
とても大変な時代にどうふるまっていたかと言えば、
請願,請願と「お上」に逆らっていました。
その時代に、、肝っ玉おばちゃんが都議でいました。
都議の後藤マンさんという医師の都議会議員さんと
日々を共にしていました。
後藤マンさんという都議会議員さんが当時の都議会本会議で
美濃部知事の口から国策である多摩ニュータウン開発から
酪農集落を存続させると答弁を引き出してくれました。
しかし、日本住宅公団は建設省に類するところで
都知事の発言など聞く耳などありませんでしたが、
昭和50年代のオイルショックで多摩ニュータウン開発の
縮小していくことで酪農存続の道が見えてきました。
自分は日本の社会の農家で頑張っている人は
いっぱいいるとは思いますが、
そんな経験がとても自分の肉となっていることを
最近感じるこの頃です。
自分のやってきたこと自分でほめる
気持ちです。