たまりば

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2019年04月06日

全国版にジブリ特集で紹介されました。

こんばんは、


コロ君の日本探訪
コロ君の日本探訪





優美ー八重ペチュニア
優美ー八重ペチュニア



花言葉 「あなたと一緒なら心がやわらぐ」「心のやすらぎ」





身近にはないです。というか、、
花の名前も知りません。


全国版にジブリ特集で紹介されました。
全国版にジブリ特集で紹介されました。



きょうの金曜ロードショウは
「平成狸合戦ぽんぽこ」でした。
高畑監督は多摩市の横倉舜三さんに会い
映画が完成しています。
その横倉さんが父が亡くなった時に
自らのミニコミ誌に綴ってくれました。

「農への叫びが聞こえるようだ 2002/12/1 筆舌」
 今年も様々な出来事があって間もなく2002年の幕が降りようとしている。  
多摩ニュータウンの開発に反対を表明してきた方として知られている
堀之内の酪農家、鈴木昇さんが10月31日に亡くなった。
 いや反対と言うより、都市にも農業は必要だという
主張を言い続けてきた人である。  
11月3日の葬儀に参列し、
戻ってきて喪服を着替え食事をしながら
孫の前でポツット弱音を吐いてしまった。
「このニュータウン開発は失敗だった」と
一言漏らしたのだった。
開発に反対の急先鋒であった鈴木さんが亡くなって、
推進してきた者として戦いは終わったように思われるが、
鈴木さんの意思は息子さんにちゃんと引き継がれている。  
私も多摩の農家に生まれ育ったので
鈴木さんの気持も理解でき、
反省させられた一日となった。  
鈴木さん宅の周囲に今も残る豊かで
静かな自然を目の当たりにして、
私は「開発によって自然に恵まれた
生活の全てを失ってしまった」かのような
思いになっていた。  
現在の多摩は緑が再生し、
自然が蘇ったように思うかもしれないが、
私たちは開発前の過去の自然の生活が
今でも脳裏から離れないでいる。
それは私一人の思いではないだろう、
多くの農家の思いでもあるだろう。  
それに引き替え鈴木さんは、開発に抵抗して
農を守り抜いてきた。
その力強い意思は決して自分のためだけではなかったように
思えてならない。
多摩センター地区でも東部区画整理の審議委員として、
また農業委員など長い間にわたって開発に役割を果たしてきた
小林正治さん(80) も十月二十四日に亡くなった。
多摩ニュータウンも今次の世代に移り変わろうとしているのだろう。  
多摩丘陵のスプロール化を防いで、
道路や鉄道を開通させ、
計画的で便利な街づくりには成功したものの
ソフトの面では長い伝統ある人々の繋がりを断ち切り、
しきたりや習わしまでも壊してしまって
再生出来ないところまで来ている。


写真は読売新聞の全国版にジブリ特集で紹介されました。






多摩丘陵のおっさんの脱線力!!