2015年08月02日
「こころとからだの平和のバトン」
「こころとからだの平和のバトン」という話が来ました。
一度、歌を聞きに行きました。
とっても気持ちのこもった歌を歌う方でした。
俺、そんなライブの歌を聞くよなことはないんだけど、、
機会があり出かけていました。
優しい方と感じました。
その大熊 麻子さんからのバトンでした。
俺のようなものに推薦してくれてありがとう。

「心とからだ」俺の生い立ちは南多摩郡由木村の農村で生まれました。
父は酪農家で多摩地区ではかなり古い酪農家でした。
しかし、戦争で満州の戦地に、
敗戦でソ連軍の捕虜でシベリア抑留で強制労働でしたが、
多くの方が劣悪な環境で亡くなった聞いています。
もし、父が戦地やシベリアの大地で亡くなっていたら、
今の俺は存在しません。
その戦争のことやシベリアのことは
父は多くのことを語りませんでした。
俺が生まれた由木村堀之内は多摩地区で
酪農発祥地と言われるくらいの農村です。
子供の頃は我が家の庭に乳牛がつながれていて、
庭先には牛小屋があり
生まれた時から牛との生活でした。
高校、大学と暮らしていましたが、
多摩丘陵に東京の人口急増で国策として
多摩ニュータウン計画が昭和39年に決まり、
家に日本住宅公団という職員が
酪農をやりたいなら
「北海道や那須高原に行けばいい」という話を
聞かされていました。
そんなときに父は「うまれた地で酪農で生き抜く」ために
牛の仕事をしながら、
八王子市、東京都、国に、自分の仕事である
酪農を続けると体を張って
由木の農業を守り育てる活動をやり続ける
生活をし続ける我が家でした。
一度、歌を聞きに行きました。
とっても気持ちのこもった歌を歌う方でした。
俺、そんなライブの歌を聞くよなことはないんだけど、、
機会があり出かけていました。
優しい方と感じました。
その大熊 麻子さんからのバトンでした。
俺のようなものに推薦してくれてありがとう。

「心とからだ」俺の生い立ちは南多摩郡由木村の農村で生まれました。
父は酪農家で多摩地区ではかなり古い酪農家でした。
しかし、戦争で満州の戦地に、
敗戦でソ連軍の捕虜でシベリア抑留で強制労働でしたが、
多くの方が劣悪な環境で亡くなった聞いています。
もし、父が戦地やシベリアの大地で亡くなっていたら、
今の俺は存在しません。
その戦争のことやシベリアのことは
父は多くのことを語りませんでした。
俺が生まれた由木村堀之内は多摩地区で
酪農発祥地と言われるくらいの農村です。
子供の頃は我が家の庭に乳牛がつながれていて、
庭先には牛小屋があり
生まれた時から牛との生活でした。
高校、大学と暮らしていましたが、
多摩丘陵に東京の人口急増で国策として
多摩ニュータウン計画が昭和39年に決まり、
家に日本住宅公団という職員が
酪農をやりたいなら
「北海道や那須高原に行けばいい」という話を
聞かされていました。
そんなときに父は「うまれた地で酪農で生き抜く」ために
牛の仕事をしながら、
八王子市、東京都、国に、自分の仕事である
酪農を続けると体を張って
由木の農業を守り育てる活動をやり続ける
生活をし続ける我が家でした。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
|
|
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。